第5章 いざライブ!(コツ登場)

弘前の交通習慣

 2002年の10月,職場の旅行で八甲田,奥入瀬,十和田の紅葉を楽しんだ。 若い頃は何も感じなかった紅葉だが,この年になって見事な風景を目の当たりにして, その美しさに心が洗われた。貸し切りのジャンボタクシーで弘前に移動すると面白い光景を目にした。 信号待ちの交差点でタクシーがとまった時のことである。 歩行者信号が青になったのに,自転車に跨った年輩の方が目の前の横断歩道を 横切る自動車に邪魔されてなかなか横断歩道を渡れない。
「あらら,あれはひどいね」
私が言うとタクシーの運転手が言った。
「弘前では自動車優先なんですよ。 歩行者のために止まろうものなら後ろの車からブーブーやられてそれは大変です」
これは驚いた。交通法規に明記されているかどうかは知らないが, 歩行者優先はどこでも当たり前のことだと思っていた。自動車教習所でもそのように教わった。

私が路上の卒業試験を受けた時のことだ。
「次の交差点を左折しなさい」
助手席の教官に言われ車を左に寄せて減速した。 すると,歩道に私の教習車よりやや遅いスピードで並行する自転車があった。 微妙なタイミングになったが,そのまま左折体勢に入り交差点に差し掛かると, その自転車は私の教習車に遮られ横断歩道の手前で止まった。教官が言った。
「今の自転車に気づかなかったのですか?」
「まずい……」
私は咄嗟に答えた。
「自転車と車の速度を考えました。 交差点でハンドルを左に回したときに歩行者信号が青の点滅になったのでそのまま曲がりました」
もちろん嘘である。ひやひやしながらバックミラーを見ると, 偶然にも自転車はそのまま止まって信号が変わっていた。
「あなたは本当にそこまで確認したのですか?」
「はい」
この一言が効いて路上試験は一発で通った。弘前ではこの場合どうなるのだろうか。 そんなことを考えながらタクシー運転手の話を聞いた。

地域独自の文化や習慣はどこにでもある。 しかし,知らずに対応すると身を危険に置きかねない交通マナーは全国共通であって欲しいものだ。 五十路に一つ近づいたおじさんの他愛もない独り言である。

バンドマン用語

さて,本題に入る。おじさんバンドの初ライブを一月後に控えて, キーボード担当のマスミもメンバーに加わり,本番さながら熱の入った練習が始まった。 ジョーから「3月に」と提案されたライブの日取りは, メンバーの仕事の都合や会場のスケジュールが折り合わず,3月,4月,5月,と延びていく。
「どんどん延びて,あわよくば中止に・・・・・・」
そんな願いも虚しく,ジョーからメールが届いた。
「(2001年)6月3日でどう?」
皆の返信は異議がない。おじさんバンド結成後初めてのライブは, 私の気分を代弁するかのような梅雨入り間近の鬱陶しい時期の開催が決まった。

 「ステージは二部構成にする。ビートルズナンバーは第一部,第二部は歌姫中心ね。 オープニングは“Get Back”。終わったら間髪入れずに“Don't let me down” “I've got a feeling”と3曲続ける。1回目のMC(司会)はその後で短めに入れて。 メンバー紹介は2回目のMCで。会場がノッてきたところで“君の瞳に恋してる”でエンディング。 アンコールは“Let it be”,間奏のリードはシゲ,ショーゾー,RENの3人で回して」
好きこそ物の上手なれ,ジョーはライブの組み立てがうまい。「MC」という言葉もこの時初めて知った。

 「オカコ,この曲のコーラスに参加して。REN,ギター陣3人の役割分担は大丈夫?」
演奏の総監督はナリジだ。フェードアウト(だんだんと音が小さくなって終わること。 Fade Outを略して「F.O.」というらしい)でエンディングを迎える曲がいくつかあった。
「この曲はこうやって終わらそう」
ジョーとナリジが相談して決める。私は二人の指揮官に従ってついていくだけだ。

 「MC」と「F.O.」が出たついでに,おじさんバンドに参加して学んだ言葉を紹介する。 オカコのメールに「ピーカン」と書いてあった。初めて聞いたが, 「快晴」という意味のかなり有名な言葉だそうだ。
「“ピーカン”を知らないのはRENくらいよ」
と言われたので大辞林で調べると, なるほど「(屋外撮影現場の俗語から)直射日光の当たる快晴の状態」と出ていた。 悔しいがオカコが言ったのは本当のようだ。

 ジョーが「ハコバン」時代の話をしてくれたことがある。 「ハコバン」とは,特定のクラブなどと長期契約を結んで演奏するバンドのことである。
「1回の演奏でどれくらいもらえるの?」
と聞くと,
「20年以上前だけど,“ゲーセン”くらいかな」
と言っていた。

 数を数える時は1がC(ツェー),2がD(デー),3がE(エー),4がF(エフ), 5がG(ゲー),6がA(アー),7がB(ベー)という。 CからBまでは「ド」から「シ」までの音階を表し,ドイツ語で発音する。 「ゲーセン」とは「G(ゲー)」の「5」の意味に「セン(千)」の意味を加えた 「5,000円」のことだというのだ。「7,000円」は「ベーセン」ということになる。 問題は「8,000」だ。「C(=1)」から「B(=7)」までで音階が一巡すると, 「オクターブ」をつける。つまり「8,000円」は「オクターブ(ツェー)セン」というのだ。 このときの「ツェー」は省略されるらしい。ジョーが笑いながら言った。
「“8,000円”って言った方がよっぽど早いのに」

 このほかにも芸能界でよく使われる逆さ言葉がある。「ベース(ギター)」を「スーベ」, 「ギター」を「ターギ」,「ピアノ」を「ヤノピ」と言う。基本的に文字を入れ替えて, 長音は最後に置かないという法則がある。例えば,
「今日は雨が降っているね。そば食べる?それともコーヒーでも飲む?」
という会話は,
「今日はメーアリーフだ。バーソイーク?それともヒーコムーノ?」(指導=コツ)
となる。難解でとても日本語とは思えない。

一昔前に若者の間で「丸文字」がはやったことがある。 万年筆の書き具合を試すときに, 一筆書きのように円をぐるぐると時計回りに右へ右へと繋げて書くことがある。 丸文字の時は,あの流れを文字に反映して今の横書きに対応してできた若者文字と好意的に解釈したが, この逆さ言葉には使われている理由も必然性もまったく見当たらないと思っていた。 しかし実際は違ったようだ。このエッセイの内容を確認してもらうため, あらかじめメンバーに送ったところ,去年(2002年)の暮れからメンバーに加わったJgameの常連の きしぼんからメールが届いた。 逆さ言葉が生まれた背景にはバンドマン同士が人目を憚(はばか)った会話をするときの 一種の暗号めいた意味合いがあるというのだ。この章の冒頭の弘前での話ではないが, それぞれの職場環境や生活環境に応じて,普段触れることのできない生活習慣や独自の文化が存在するものである。

「マスミ,走っているよ」
「REN,遅れている」
ジョーから叱咤の声が飛ぶ。“I've got a feeling”の間奏で私のギターソロがある。 ナリジのシャウトの後,全員がブレイク(音を出すのをやめること)し, 私だけがチョーキングをビブラートさせながら二小節のカウントを刻む。 2小節の3拍目からジョーのドラムが軽快に加わり,3小節目の頭から全員の演奏とヴォーカルが一斉に始まる, という展開なのだが,リズム感が無くなってしまった私はカウントを正確に刻むことがうまくできない。 ジョーのドラムの入りとタイミングが微妙にずれてしまうのだ。
「ここがキマらないと格好悪いよ」
困った私はジョーの動きに注目した。するとジョーは私のチョーキングのテンポを無視して, 頭を上下に振って正しいカウントを取っている。
「これだ!」
私はジョーの頭の動きを拝借してカウントを刻んだ。ドンピシャである。 「一件落着」と喜んだのも束の間,次の練習でこの方法を試そうとすると, 私のカンニングに気づいたジョーが頭を振らずに笑っている。
「しまった,気づかれたか・・・・・・」
またしてもドラムの入りとズレてしまった。25年ぶりのジョーは意地悪おじさんに変身していた。 私はジョーが頭の動きに代えて足でカウントを取っているのを見逃さなかった。 ジョーのカウントさえ盗めればうまく合うのである。目立つことが嫌いな私に絶好の口実が見つかった。
「本番ステージの陣取りは,ジョーの全身が見えるドラムの隣を確保しよう。 ドラムは恐らく一番後ろにセットされるに違いない。目立たないで済む。一石二鳥だ」
転んでもただでは起きない,競馬でいうところの「古馬のズブさ」である。

私の競馬遍歴

 話は逸れるが,競馬用語を引用したついでに私の競馬遍歴を紹介する。 私が中学2年の時である。ラジオを聞いていると競馬中継が入ってきた。 それは競馬だけを放送する専門の番組ではなくて, 歌などを流していてレース発走間際になると競馬中継を放送する番組だった。 その番組で競馬クイズをやっていた。その日のメインレースに賞金5万円が割り当てられ, 枠連予想が当たった全員に5万円を均等割りするというのだ。予想は電話で申し込む。
「電話をかけるだけでいいのか」
競馬などまったく知らない私だったが,面白そうなのでやってみることにした。 新聞のスポーツ欄を見みると,その日のメインレースは有馬記念だった。
「◎と○が強い馬だな」
私は◎印が付いたスピードシンボリと○印が付いたアカネテンリュウの枠連に決めた。 勇んで電話に向かったが何度かけても話し中である。 何十回となくダイヤルを回してやっと繋がり予想を告げた。ドキドキしながらテレビの前に釘付けになる。 結果は8歳馬のスピードシンボリが有馬記念2連覇を達成した。アカネテンリュウが2着。
「当たったのかな?」
私はラジオに聞き入った。
「今日の当選者はこれまでの最高人数です」
大本命だったのだ。
「東京都のRENさん,この方は中学2年生ですね」
私の名前が全国に流れてしまった。翌日,床屋でこの放送を聞いていたという担任教師と友人数人から
「RENは競馬をやるのか?」
と問い詰められた。今考えると「床屋で聞いていた」というのも怪しいものだが, 何日か経って1,000円に満たない賞金が私の手元に送られてきた。これが競馬との初めての出会いとなった。

 次の出会いは,それから2〜3年後のことだ。仲の良かった競馬好きのハコに付いて東京競馬場に遊びに行った。 競馬場に行ったのはこの時が初めてである。中山競馬場での開催期間中だったので, 東京競馬場は場外馬券売り場となっていて閑散としていた。私はその広さに感激して思わず柵を乗り越え, ハコと一緒に緑のターフで競走した。折角来たのでハコの競馬新聞を借りてバラ券(200円券)を1枚買った。
「どうせ当たりっこない」
と高を括って買った無印二つの枠連は99.7倍の高配当になった。 典型的なビギナーズラックである。この時から本格的な競馬人生が始まった。

 それからというもの土日となれば,競馬場通いに精を出した。 資金は特券(1,000円券)で万馬券を当てた時の払戻金を原資に競馬専門口座を設け,特別会計で処理した。 働いてからの話だが,私は役所に勤める競馬好きのNさんと仲良くなった。 一緒に福島まで馬を追いかけて行ったこともある。今から20年前の話だが, ある時農林省出身である役所の事務次官をされたある先生に
「REN君と奥さんを昼食に招待しよう」
と誘っていただいた。その先生の声はとても小さい。食事をしながら話しかけられても, なかなか聞き取れないのだ。会話がかみ合わないで失礼があってはいけないと思った私は, 自分から話しかけることに努めた。勤めて間もない私にとって,先生と話す話題など見当たらない。 先生が農林省出身ということを思い出し,得意の競馬の話をしてみた。 すると先生は,日本中央競馬会が特殊法人になった時の法律作りを担当されたという。
「今度ダービーがあるね。東京競馬場の入場券を取ってあげようか」
「ぜひお願いします」
「何枚ほしいの?」
「できましたら3枚お願いします」
私の頭には,ハコと役所のNさんと私の3人が頭にあった。 家内とはレストランで別れ,職場に戻ると先生は私の机から日本中央競馬会の理事長に 電話をかけて券を頼んで下さった。電話を切ると先生が言った。
「これだけでは心配だな。農林省にも頼んでおくか」
今度は農林省畜産局競馬監督課長に電話された。 後日中央競馬会と農林省から3枚ずつ合計6枚の入場券が届いた。

 日本ダービー特別観覧席の入場券だ。しかも6枚もある。 飛び上がらんばかりに喜んだが,逸る気持ちを抑え念のため先生に聞いてみた。
「先生ありがとうございました。入場券は6枚届きましたが,いかがいたしましょうか?」
「無駄の無いように使って下さい。私も行きますから」
もしやとは思ってはいたが予感は的中した。先生の一言で幼なじみのハコを誘うことは叶わなくなった。 先生を含めた6人分の入場券をさばかなければならない。私は役所にNさんを訪ね入場券を見せた。
「お,すげーダービーだ。しかも特観席じゃない!」
「先生が取ってくれたんだ。一緒に行こうよ」
「え,まさか先生も・・・・・・」
先生はNさんの役所の次官をされた方だった。途端にNさんの表情が曇る。 私はNさんの部屋にいた顔見知りの何人かに声をかけたが,全員無言のまま首を横に振る。 困った私は職場に戻り,競馬をしたことのない先輩たちや女性職員にお願いして付き合っていただいた。

 ダービー当日,私は待ち合わせの「府中競馬正門駅」の改札に早めに行って先生を待った。 すると先生は約束の時間より30分近く前に到着された。
「まだ随分時間があるね。あそこで休もうか」
先生の視線は屋台風の露店の野ざらしテーブルに向いている。どうしたものかとも思ったが私は先生に従った。 ジュースのようなものを頼んで席につくと,周りには常連客が競馬新聞を手に昼間から酒を飲んでいる。 側に座っていた一人が先生の隣に席を移すといきなり話しかけてきた。
「俺はよー。田舎に帰るとちょっとしたもんさ。町の議員だって皆俺の知り合いよ。 あんたもただもんじゃねーな。俺にゃ分かる」
男は先生の弁護士バッジを睨みながら言った。 内閣法制局の高官も歴任された先生は弁護士の資格を持たれていた。
「これは困ったことになった」
ふと改札に目をやると,幸いにも事務所の先輩たちが到着したのが目に入った。
「先生,そろそろ行きましょうか」
「さっきの人は何を話していたのかな。よく分からなかったね」
先生が言われた。

 特観席の入口は,券馬場正門から入った正面にあった。ガードマンが入り口の両脇を固めている。 この入り口は,いつも横目に素通りするだけで入ったことなど一度もなかった場所だ。 エレベーターで上ると,ゆったりとした見晴らしのいい席に案内された。 周りの人たちも馴染みの競馬客とは雰囲気が違う。レースが近づくと若い女性が近寄ってきた。
「買ってまいりましょうか?」
勝手が分からない私は,前の席の人が頼んでいる様子を窺った。すると大金を渡している。
「自分で買いに行きます」
私は買い慣れたフロアーに下りて,人混みの中でバラ券を買った。 この日のレースはガチガチの大本命ばかりだった。中穴狙いの私には全然出番が無い。 先生は殆どのレースを的中された。目当てのダービーはミスターシービーがシンガリ(最後方)から 全馬を差しきって見事に2冠を達成した。 財布の中身と神経を使い果たした私は,この時を最後に競馬を止めた。 帰宅の道中,先生が私に言った。
「来る馬を買わなきゃダメだよ」

秘密でない秘密練習

 話を本題に戻す。一月間で20曲近い曲の構成と, 自分のパートを覚えなければならないマスミの奮闘ぶりも大変なものだった。
「この曲の楽譜があったらFAXで送って」
「今度の日曜に家で一緒に練習しない?」
マスミから連日のようにPCと携帯にメールが入ってくる。 ライブ前の一月間に二度ほどマスミの家に行って練習したことがあった。 この頃からスタジオ練習以外の練習を「秘密練習」と呼ぶようになる。 メンバーのメールで
「明日,マスミの家で秘密練習をするから来られる人は来て」
と全員に呼びかけるのだから,実際のところは秘密でもなんでもない。 中学,高校時代にテストが近づくと,
「誰々の家に行って一緒に勉強して来る」
と大手を振って出かけたものだが,それとよく似ている。 ちょこっと練習しては,「休憩」と称してビールを片手に昔話に華が咲く。 要するに練習(勉強)した気分に浸って満足するのだ。  家での練習も似たようなものだ。私はギターを持つと決まって睡魔に襲われる。 この状態もテスト前の教科書を手にした時とよく似ている。 あの時は教科書が持つ特殊作用と思っていたが,睡魔を誘った原因は教科書にあったのではなく, テスト前という状況にあったようだ。今さらそんなことが分かったところで仕方のない話だが, 「テスト前」が「本番前」に,「教科書」が「ギター」に変わっただけで,何ら進歩のない自分に気づき苦笑する。 歌姫たちとオカコが歌うZARDや小柳ゆきなどイマドキの曲の音取りもしなければならない。 本番までのカウントダウンも僅かとなった。
「あ〜ぁ,一体どうなってしまうのだ・・・・・・」

コツ登場

 おじさんバンドの人間模様を語る上で欠かせない人物がいる。 高校時代の小金井公会堂でのライブの仕掛け人,コツである。 コツはナリジと私の中学時代の同級生である。ヒョロっと背が高くガリガリに痩せていた。 「コツ」のあだ名は,骨のような体型に由来している。 コツは,楽器の演奏と運動は苦手だったが,機械にめっぽう強かった。 オーディオとハム(アマチュア無線)のマニアだったコツは,仲間うちで常にメカの最先端を走っていた。 中学時代のことだ。コツの部屋は日中でも薄暗く,怪しげな雰囲気が漂っている。 本棚や机の下にはハムやオーディオの専門誌が整然と並んでいる。 窓際のラックには我々ではとても手が届きそうもないオーディオ機器の数々が配置してある。
「これが同じ中学生の部屋なのか」
驚きと憧れの気持ちが錯綜するコツの部屋が私は何となく好きだった。

 ふと机の上に目をやると,何やらスイッチがたくさんついた機械が置いてあった。 コツがその機械を操作すると,天井から,ベッドの下から,あるいは窓際のカーテンの陰からと, ステレオの音の出所がコロコロと切り替わる。 私は,きれいな銀色のアルミで作られていたこのスピーカー切替機が一目で気に入った。
「すげー,これどうしたの?」
「ぼくが作ったんだよ。作ってあげようか」
コツは同じ機械を私にも作ってくれた。
「こんなにスピーカー持ってないよ。コツは買ったの?」
「捨ててあるステレオのスピーカーを使えばいいんだよ」
コツがスピーカー切替機を私の部屋に取り付けてくれた。
「何かトラブルがあったら言ってね」
喜びはしゃぐ私をコツは冷静に見守っている。私には分かった。 表情には出さないが,私が喜べば喜ぶほどコツも嬉しいのだ。

コツの影響もあって,ナリジやハコや私もオーディオ揃えるようになった。 指南役はもちろんコツである。バイトやお年玉で貯めた予算に応じて適当な機種を選んでくれる。 誰かがオーディオを買う時には必ずこの4人で秋葉原に乗り込んだ。
「これはあそこの店の方が安いよ」
「うまく値段交渉すればもっと安くなる」
コツのアドバイスは的確だ。目的の買い物を終えて帰りの電車に乗り込む。 念願のオーディオアンプ,レコードプレーヤー,ラジオチューナー, 2本のスピーカーを所狭しと集めて車両の一角を陣取り, 他の乗客の迷惑も顧みず小一時間の道程を帰ったものである。

おじさんバンドの初ライブの後で合流するマッちゃんを我々に引き合わせてくれたのもコツだった。 コツとナリジと私は全員別の高校に通っていた。 高校1年のある時,ナリジとコツの家に遊びに行くと,コツが1本の録音テープを聴かせてくれた。 それはコツの高校の同級生が演奏しコツが録音したテープだった。 ビートルズの「ゲットバック」,サンタナの「ブラックマジックウーマン」, キャロルの「ファンキーモンキーベイビー」を演奏している。我々より格段にうまい。 驚いたのはドラムの存在だ。
「ドラムが入るだけでこれほどまで違うものなのか」
我々のバンドにはドラムがいなかった。このテープに刺激されて, 後にジョーをドラマーへと巧妙に誘導することになるのだが, このテープでギターを弾いていたのがマッちゃんだったのだ。 この翌年,マッちゃんは小金井公会堂で行うライブのために,コツの口利きで我々バンドに加わることになる。 私たちがマッちゃんを知ったのはこの時が初めてだった。

この時のマッちゃんのバンドでドラムを叩いていたのがコンちゃんである。 コンちゃんはマッちゃんたちのバンドを辞めてからベンチャーズのコピーバンドに参加した。 そのベンチャーズのコピーバンドと,ビートルズのコピーバンドの我々で
「合同ライブをやろう」
と話を持ってきたのがコツだ。 そのライブこそ,これまでに何度も登場した高校2年の時の小金井公会堂での最初で最後のライブだったのである。

「コツはどうしているかな?」
「この前,家の前を通ったら家が無かったみたいだったよ」
私の問いにナリジが答えた。おじさんバンドの話が出た時からコツを探していたが どうしても見つからなかったのだ。おじさんバンドの初ライブを間近に控えたある日, 新たにメンバーに加わったマスミから1本のメールが入った。 それはマスミの中学時代の友人で今でもバンド活動を続けているイチノセに宛てたメールのCCだった。
「今度ナリジたちとライブをやるけど来ない?」
「その前にぼくら(イチノセ)がライブをやる。コツも来るよ」
長い間探し求めていたコツの名前がイチノセの返信に呆気なく書いてある。 接点が無かったコツとイチノセの交友が不思議に思えたが,あれほど探していたコツが簡単に見つかった。 イチノセは30年近く会っていないが昔よく麻雀をした仲間だ。 私はイチノセにメールを出してコツのメールアドレスを教えてもらった。

 連絡が取れた私は早速国分寺のコツの家を訪ねた。家は昔の所にあった。ナリジが
「家が無くなっていた」
と言ったのは,ナリジがコツの家の前を通りかかった時が, たまたま建て替えのために前の家を取り壊して更地になっていた時と重なっていたのだ。 コツの家は建て直して間もない綺麗な2階建てに変わっていた。 私が好きだったあの怪しげな部屋はもう無い。家に通されると地下にスタジオがある。 全室に防音効果が施されている。トイレの窓ガラスまでもが二重なのだ。
「すごい,すごい,すごい!」
私は「すごい」を連発した。地下のスタジオにはPAのような大きな機械とPCが並んでいる。 初めて目にする物ばかりの中でスピーカーだけは見覚えがあった。 コツが高校時代にコーラルのスピーカーからアップグレードして買ったクライスラーのスピーカーだった。 あの頃とは比較のできない環境の中で当時のスピーカーが大切に使われているのを見つけ, 懐かしくもあり,嬉しくも感じた。
「このスタジオで演奏できるかな?エレキは何本くらい繋げるの?」
「40本くらいは平気かな」
「ライブの前日,ここで練習してもいい?スタジオが取れないんだ」
「いいよ,いいよ。使いなよ」
私が「すごい」を連発したのには訳がある。 コツは昔から自分の持ち物で皆が楽しんでいる姿を見ているのが好きで,それが嬉しい人なのだ。 いい奴である。中学時代に作ってもらったスピーカー切替機の時もそうだった。 「すごい,すごい!」と言って,皆で感心しながら楽しんでいれば,それだけでコツも嬉しいのである。 20年ぶりで会ったコツは昔のコツのそのままだった。

ライブ前夜のコツスタ練習

 ライブの前日,仕事があるジョーを除いたメンバー全員がコツスタジオに集合した。 ナリジの指揮でコーラスの総点検が始まる。さすがに本番前日だけあって皆の取り組みも真剣そのものだ。
「おや,ササキがいないぞ」
仕上がりに難のあったキーボードのササキ君の姿が見当たらない。私は佐々木君の携帯に電話をした。
「はい・・・・・・。な〜んか風邪ひいちゃったみたいで大事をとって寝ています・・・・・・」
「皆そろっているから早くきてね」
それから1時間が経った。ササキ君は現れない。私はまた電話をした。
「え〜〜と,風邪が・・・・・・」
まだ寝ている雰囲気だ。
「とにかく早くおいで」
それからさらに1時間ほどしてササキ君がやっと登場した。 皆と合わせて演奏するが,なかなかうまくいかない。
「ササキの特訓をしなきゃ」
何度か合わせているうちにだんだんと形になってきた。

 練習に精を出すと腹が減る。地下のコツスタから1階の応接間に場所を移し, 寿司屋の出前を頼んで空腹を凌いだ。10人前以上の寿司があっという間に無くなる。 テレビをつけると日本代表のサッカーの試合をやっていた。全員で応援する中, オカコとナリジはテレビに背を向けてライブ会場のスタッフに渡す演奏曲の構成表を作っている。 ジョーから電話が入った。
「練習どんな具合?」
「なかなか良かったよ」
「ササキは来た?」
「遅れて来たけど何とか形になったみたい」
「今は何やってるの?」
「寿司食いながらサッカー応援してる」
「いいなぁ。まだ仕事だよ」
不安と緊張の中でのライブ前日の練習は,寿司とビールとサッカーの代表戦の応援ですっかりと リラックスムードに切り替わった。「腹が減っては戦ができぬ」と言うが,
「腹を満たしすぎても戦ができぬ」
ということをこの時知った。 満腹になって酒が入ると気持ちが大きくなり目先のことはどうでもよくなる。 その上サッカーの代表戦の応援だ。 それまでの緊張感もすっかり失せて明日のライブなどどうでもよくなってしまった。

 本番を翌日に控え,音響のプロで課題曲の配布用MDの作成や スタジオのPAを担当する縁の下の力持ち,コツがメンバーに加わった。 明日はいよいよライブ当日である。

第6章 6.3 初ライブ
第7章 拡がり続ける仲間の輪

第1章 再会
第2章 悪戦苦闘の楽器店通い
第3章 過去と今の連鎖
第4章 小さな思い出の復活
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