第4章 小さな思い出の復活

吉祥寺に進出

 おじさんバンドの練習会場は,国分寺市の公民館の無料スタジオから 吉祥寺の貸しスタジオへとアップグレードすることになった。 その理由は,バンドメンバーが増えて手狭になったこともあったが, 公民館のスタジオはドラムやギターアンプなどの機材のメンテナンスに若干の難があったことも否めない。 とはいえ無料で借りられるスタジオがあるのだから今の若者は恵まれている。 我々の高校時代は,誰かしらの家にドラムやらギターアンプを持ち込んではドンチャンやっていた。 近所もたまったものではなかっただろう。あの状況で一度の苦情もこなかったことは奇跡に近い。 騒音にじっと耐え,寛大な心で世間知らずの高校生のバンド遊びを見逃してくれた ご近所さんに紙面を借りて衷心より感謝の気持ちを申し述べたい。

 吉祥寺のスタジオは,有料だけに公民館のスタジオと比べ充実していた。 広いスタジオは公民館のそれより優に3倍のスペースはあるだろうか。 かくしておじさんバンドはゆかりの地の国分寺から,ちょっと都会の吉祥寺へと進出することになった。

 吉祥寺はJR中央線の沿線にあり,新宿と国分寺のちょうど中間点に位置する。 南口には井の頭公園がある。南こうせつとかぐや姫で有名な「神田川」は, この公園にある井の頭池を水源としている。公園には武蔵野の情緒が慕ばれる雑木林が残っているが, 今の若者には「『三鷹の森ジブリ美術館』の近くの公園」と説明した方がいいのかもしれない。 我々の高校時代,吉祥寺は都会の入口だった。当時は珍しかった駅ビルの 「LONLON(ロンロン)」やアーケードの駅前商店街「サンロード」は, 国分寺にはない都会の雰囲気を醸し出していた。時代はまだフォークが世に出始めて間もない頃だ。 音楽雑誌などで見かける若手フォークシンガーが出入りしていた喫茶店の「ぐぁらん堂」, ジャズ喫茶「アウトバック」,ロック喫茶「赤毛とそばかす」, いずれも我々が青春時代を謳歌した思い出深き場所である。

あの陽水を上回る

 「若手フォークシンガー」で思い出したことがある。 我々おじさんバンドの母体となった高校時代の名前の無いバンドは,隣町の小金井公会堂で, 最初で最後のコンサートを行った。812人を収容できる客席は,満席とまではいかないまでも, かなりの席を埋めていたと記憶している。もちろん友人ばかりでである。 我々のコンサートと前後して,あの井上陽水が同じ小金井公会堂でコンサートを行った。 このコンサートで「傘が無い」などの名曲を披露した陽水だったが, この時は忌野清志郎のRCサクセションの前座として出演していた。 40〜50人も入っていたであろうか,空席ばかりがやたらと目立った。
「いやー,大変な盛況ぶりですなー」
清志郎が照れながら言っても,がらんとした会場からは何の反応もない。 独特の歪みのきいた声だけが虚しく響いていた。
「観客動員であの陽水を上回った」
このことは今でもおじさんバンドの語り種になっている。

山ちゃん登場

ある時の練習後の飲み会でナリジが言った。
「学院の同級生のメーリングリストがある。これで山ちゃんが見つかるかもしれない」
山ちゃんとナリジは早稲田大学高等学院時代の同級生である。 山ちゃんは,小金井公会堂のコンサートでヴォーカルを担当した。 今では早稲田実業高校も早稲田大学の附属高校になっているようだが, 我々の時代は早稲田大学の附属高校と言えば早稲田大学高等学院だけだった。

 小金井公会堂でのコンサートの前のことである。 私たちのバンドにはヴォーカルがいなかった。
「適当な人材はいないか」
皆で探しまわっていた時ナリジが言った。
「うちのクラスに尾崎紀世彦の『また逢う日まで』を毎日大声で熱唱しているのがいる。 なかなかうまいんだ。今度連れてくるから」
ナリジに連れられて山ちゃんが登場した。背が高くてヒョロっとしている。 男前で女性にもてそうだ。ジョーと同じく人見知りをするのかもしれない。 ナリジ以外にはなかなか自分から話しかけてくれない。ビートルズは聴いたことがないようだ。 レパートリーは,尾崎紀世彦をはじめとする歌謡曲オンリーらしい。 山ちゃんは歌がうまかったが,私が驚いたのは声のでかさだ。 これは山ちゃんがおじさんバンドに加わってから奥さんから聞いた話だが, 山ちゃんが家で歌を歌うと,100メートルは優に離れている大通りの銀行からも聞こえるらしい。
「ご近所にも申し訳ないし,恥ずかしくて仕方ない」
これは奥さんの談である。

 「山ちゃんが見つかった。今は三鷹で塗装工事会社を経営している。
現役のサーファーらしいよ。今度の練習に顔を出すと言っている」
ナリジが朗報を持ってきた。

 今日は山ちゃんが登場する。吉祥寺のスタジオで練習しながら待っていたが,なかなか来ない。 サーファーの山ちゃんは,この日もサーフィンを楽しんでいたらしい。 鎌倉にサーフィン用の別邸を構えているというのだから相当なものだ。 練習も終わりに近づいた頃,山ちゃんがスタジオに入ってきた。
「おおお,山ちゃんだ!」
一目で分かった,まったく変わっていない。 早速小金井で演奏した「Don't let me down」を歌ってもらった。
「ど〜ん れっみ〜 だ〜ん」
高校時代の響きそのままだ。後で奥さんから聞いた話である。
「うちの人ったら,嬉しくて嬉しくて,帰ってきてからお酒を飲みながら練習の様子をずうっと話していたんですよ」
こうして山ちゃんが合流した。

歌姫の参加と流行の話

 ジョーからメールが入った。
「うち店の隣の娘さんも歌いたい,と言っているけどいいかな? カオちゃんって言うんだ。ガングロだけどヤマンバじゃないよ」
もちろんオッケーである。おじさんバンドは来る者を拒まない。 それにしても,ガングロは分かるがヤマンバの意味が分からない。 ある日,我々と同年配の女性に連れられて二人のギャルがスタジオに訪れた。
「ガングロだ!カオちゃんに違いない」
厚底のサンダルを履いている。私は,地元の原宿でガングロちゃんを遠巻きに目にはしていたが, こんなに近くで会うのは初めてだった。なぜか嬉しくて心が弾んだ。 カオちゃんはお母さんに連れられてお姉さんと一緒に来たのだ。歌がメチャメチャうまい。 たくさんの歌手をプロデュースしてきたナリジが
「うまい」
と言うのだから相当なのだろう。こうして,ナリジの娘さんのアズミちゃん, ジョーの娘さんのリカちゃんに続いて,ジョーのご近所さんのカオちゃんがメンバーに加わった。 おじさんバンドが誇る歌姫3人娘はライブの看板であり,おじさんたちのパワーの源になっている。

 近頃はすっかり鳴りを潜めたガングロと厚底サンダルだが, いつの時代にも一風変わった流行が突如として現われる。中学生の時だった。 一つ年上のツッパリ軍団が,寒くもないのにバーバリー風のコートと顔に大きめのマスクという出で立ちで登校した。
「そろって風邪でもひいたのかな」
と思ったりもしたが,あれも流行だったらしい。 高校生になってからは,トレーナーを裏返しに着るのが流行ったことがある。この時は
「逆に着ているよ」
と注意したところ,反対にばかにされて恥をかいた。それにしても,裏表逆に着るのが流行とは驚いた。 私が幼少の頃,上着は前後逆さまに,時としてズックも左右逆さまに履いている近所の友だちがいたが, あれなど一歩間違えば流行の最先端ということになる。

 私が勤めるようになってからは,若い女性がスカートの裾からわざと 白いスリップを見えるように出しているのが流行ったことがある。 この時はトレーナーの経験が生かされ,黙って見過ごすことで恥をかかずに済んだ。 何年か前になるが,朝の出勤時に職場の近くの横断歩道で信号待ちをしていると, 真新しいトレンチコートを着て,私の前に颯爽(さっそう)と立ち止まったサラリーマンがいた。 よく見るとコートの後ろから値札が下がっている。
「これも流行?」
と一瞬ためらいもしたが,教えてあげると恥ずかしそうに感謝していた。 注意していいのか悪いのか分からないような紛らわしい流行は勘弁してほしいものである。

ジョーはライブ好き

 ヴォーカルの山ちゃんも加わり,練習も月に一度のペースで定着した。 年を越したある練習後の飲み会でジョーが言った。
「このままじゃ,練習のための練習になってしまう。ライブをやろう。3月辺りはどう?」
来るべき時がついにきた。私はいつかジョーの口から必ず出てくるこの一言を最も恐れていた。 私は自分の下手さ加減を熟知している。それに加え,目立つことが嫌いな性分である。 人前で演奏するライブなど到底耐えられないものがある。 ジョーは私とは正反対で昔からライブが大好きだった。高校時代にジョーに説得されて, ジョーの彼女の高校でライブをやったことがある。母校の文化祭でもライブをやったが, このときの言い出しっぺもジョーだった。 容姿と楽器の腕に自信のある人間は,人前で目立つことが好きなようだ。 何ともうらやましい限りである。しかし,「練習のための練習」とは説得力のある名言である。 見事なセリフの割には,特に考える風でもなく,ごく自然に出てきた。 誰かのセリフをパクったか,前に同じような場面に遭遇した経験があったに違いない。 それはさておき,頼みのナリジもジョーの意見に同調している。
「ライブ,やめようよ。練習だけでも楽しければいいじゃない」
私の反論はまったく説得力が無い。 いとも簡単に却下され,おじさんバンドはライブに向けて 練習回数をこれまでの月に1度のローテーションから月に2度にペースアップすることになった。

ナリジの思い出

 おじさんバンドのバンマスはドラムのジョーである。
「バンマスとは名前ばかりで,やっていることは練習スタジオの手配やライブ会場との打ち合わせ, メンバーとの連絡です。マネージャー兼小使いのようなもので,実質的なバンマスはナリジです」
これは一昨年(2001年)のライブでのジョーの自己紹介だ。
「RENのエッセイで,オレの登場頻度が高すぎない?」
去年(2002年)の忘年会でジョーからクレームがついた。 ジョーの意見を尊重して,影のバンマス・ナリジの思い出を紹介する。

 ナリジは早稲田大学卒業後,Cレコードというレコード会社に就職した。 昼夜を問わない多忙さにだんだんと連絡も遠のいてしまったが,今から20年近く前のことだろうか。 ナリジと久しぶりで会う機会があった。

今では俳優として活躍している陣内孝則がヴォーカルをしていたロッカーズという ロックバンドをナリジが担当していた時のことだ。 久しぶりでナリジと話したくなった私が電話をしたのだと思う。
「今度の日曜日,原宿のホコテン(歩行者天国)で, ぼくが担当しているロッカーズが抜き打ち演奏をするから,時間があったら来てみない?」
この頃は「ゲリラライブ」などという言葉も,そのような宣伝方法もなかった時代だ。 原宿に住んでいる私は興味津々ホコテンに行ってみた。

井の頭通りの代々木公園沿いから表参道に抜ける道は,日曜の正午を過ぎると歩行者天国になっていた。 「なっていた」と過去形で書いたのは,歩行者天国に訪れる若者たちの素行の悪さや 交通渋滞などに業を煮やした地元住民の反対運動によって1998年7月に廃止されたからである。 ナリジに誘われた時の原宿ホコテンは,竹の子族で賑わっていた時代である。 私が着くとナリジは若い竹の子族の連中と何やら熱心に話し合っている。 我々より10歳は年下だろうか。不思議に思えた私はナリジに聞いてみた。 するとナリジが言った。
「ぼくが一番気に留めているのは,警察よりもむしろあの竹の子たちだ。 あの連中は週刊誌の1ページや2ページを簡単に裂くパワーを持っている。 まず彼らを味方につけないと,うまくいくものもいかなくなる」
ナリジの鋭い着眼と卓越した行動力に敬服した。私などでは到底思いつきもしない。 事が起きぬようにと,あらかじめ警察に届け出て,あっさりと断られ諦めるのが関の山だろう。

 代々木公園の入口に目を向けると,山手線側の草むらにアンプやらドラムなどが目立たぬように置いてある。 やがてメンバーが到着した。ロッカーズの今でいうゲリラライブが大音響の中で始まった。
「何事が起きたのか」
ギャラリーがどんどん集まってきた。何しろ路上でライブをやるなど到底考えられなかった時代だ。 そのうち騒ぎを聞きつけた警官が数名現れた。 するとどうだろう,ナリジが事前に渡りをつけていた竹の子たちが警官の進行を阻止しているではないか。 ゲリラライブは中断を余儀なくされたものの,ナリジの作戦は大成功をおさめた。

 ロッカーズは,何度かブラウン管を通して見たことがあったが,大ヒットとまではいかなかったようだ。 その後ナリジと会った時に
「ロッカーズはどうなった?」
と聞いてみた。するとナリジが言った。
「今はチェッカーズをプロデュースしている。ザ・ベストテン(当時のTV番組)の常連くらいにはしてみせるよ」 「ロッカーズの後にチェッカーズか……」
と正直思ったものだが,その大成功ぶりは私が紹介するまでもない。

10年以上前のことだ。ナリジが言っていたことがある。
「毎月沖縄に行ってる。面白いのがあるんだ」
その時は気にも留めなかったが,おじさんバンドを始めてから練習後の飲み会でナリジに聞いてみた。
「あの時言っていた『沖縄にある面白いの』って,ひょっとしてアクターズスクールだったんじゃない?」
「そうだよ。安室奈美恵はスーパーモンキーズでデビューする前だったし, DA BUMPのイッサもまだ小学生でお姉さんが来ていたよ。早すぎた,5年早かったね」
去年(2002年)のライブ当日,ナリジが言った。
「元チェッカーズのメンバーが『見に来たい』って言っていたけれど, 『おじさんバンドは下手だから,プロは来ちゃいけないのよ』って断ったよ」
ナリジの周りには興味深い話題が尽きない。おニャン子クラブのプロデュースや 50本を超える映画音楽のプロデューサーも務め大活躍したナリジは,我々同級生の大きな励みとなっていた。 ナリジはおじさんバンドの産みの親であり, 「影のバンマス」として,おじさんバンドの中心的な役割を担っている。

マスミ合流

 練習後の飲み会でライブの打ち合わせも始まった。 おじさんバンドにThe Loose & Beat という名前が付いたのもこの頃だ。 「ビートルズ」を捩(もじ)った「ビートルーズ」という名前が第一候補にあげられたが, この頃吉田拓郎がレギュラーで出演していた「ラブラブ愛してる」というTV番組のユニットで KinKi Kidsと篠原ともえが編成していたバンド名とカブるので, 「ビートルズ」を逆さまにした「The Loose & Beat 」に落ち着いた。 「ルーズ」な「ビート」という名前の由来には, 25年間のブランクですっかりリズム感がなくなってしまった私の存在が一役買っている。

おじさんバンドにキーボード担当の大学生・ササキ君がいる。 ジョーのご近所さんのササキ君は,演奏テクニックは十分なものの,五線譜が無いと弾けないという欠点があった。 おじさんバンドは,課題曲の自分のパートをそれぞれがCDから音を拾って演奏しなければならない。 第一,五線譜など誰も読めやしない。使っている譜面はコード譜である。 困ったことにササキ君は,まったくコードを覚えようとしない。 ササキ君のために手動と根気のアナログ作業で, 課題曲のコード譜を五線譜に書き換える労を執ったジョーがついに言った。
「ササキ,コードくらい覚えろよ!」
「無理,無理。絶対無理っすよ」
ササキ君は「無理」の一点張りだ。 そんなある時ショーゾーからメンバーにメールが入った。 それは,ある同級生に送ったメールのCC(カーボンコピー)だった。
「マスミ君,ご無沙汰しています。ナリジ,ジョー,RENたちと来月ライブをします。 ビートルズのキーボード奏者がいません。マスミ君,手伝って下さい」
マスミは,ショーゾーとハコ(第1章で登場した私の中学時代の同級生)の高校時代の同級生である。 隣町の小金井市に住んでいる。マスミのお母さんは,私が小学校5,6年の時の隣のクラスの担任の先生である。 高校時代,マスミは,初代クラリオンガールとして人気を博していたアグネス・ラムに似ていると言われていた。 男なのにである。

 大学時代の話だ。マスミは私の家の近所にある喫茶店でバイトをしていた。 その喫茶店は,当然のように私やハコの溜まり場になった。 ひどい時は開店してから真澄が帰るまで1杯のコーヒーで粘っていたこともある。 もしかすると,1杯も頼まないで粘っていたこともあったかもしれない。 この頃,ハコたちの間で「クイズ・ドレミファドン」ではないが, 自分たちで曲当てクイズのカセットテープを作り,友だちと点数を競う遊びが流行っていた。 その曲当てテープを喫茶店のBGMで流すのだからたまったものではない。 好き勝手に遊んでいる我々にとっては都合がいいのだが,だんだんと客足が遠のいてしまった。 たまに客が来ると,
「邪魔だなぁ」
と言わんばかりの態度を露(あらわ)にする。営業妨害も甚だしい迷惑極まりない常連である。 1日の売り上げが1,000円以下という日もあったと思う。 この喫茶店でマスミと一緒にバイトをしていたマドンナが,若き日のナリジ夫人である。

 私はマスミとキーボードが結びつかなかった。まったく覚えていないのだが, 小金井公会堂でのライブ前まで,マスミは我々のバンドの一員だったらしいのだ。
「小金井公会堂でのライブの話が具体的になってきて逃げ出した」
これは後で聞いたマスミの弁である。

小金井公会堂でのライブ前に中学校の音楽室を借りてバンド演奏を録音したことがあった。 2001年の第1回ライブが終ってから専属のPA担当としてメンバーに加わったコツが 録音作業を一手に引き受けてくれたのだが,この時の出来事で一つだけ覚えていることがある。 それは,私とは別行動のリヤカー隊がギターアンプやドラムセット, 録音用のテープデッキなどを中学校に運んでいた時の話だ。リヤカーが中学校の敷地に入ると, 何やら木の上から落ちてきた。それはハトを飲み込もうとしている蛇だった。 ハコは果敢にも蛇と格闘しハトを助けたようだが, その時一緒にリヤカーを引いていたのがマスミだったというのだ。 このハコの武勇伝は実際には見ていないが,興奮して話すハコの様子が愉快だったのでよく覚えている。 しかし,そのリヤカー部隊にマスミがいたことも,音楽室で行った録音の様子もどうしても思い出せない。 この中学校での録音テープは誰の所にも残っていなかった。
「無くなってしまったか」
と諦めかけた時,マスミからメンバーにメールが入った。
「2中の録音テープが見つかった」
というのだ。もちろんマスミがメンバーに加わった後での話である。確かに中学校で録音したテープだった。 懐かしい演奏を聴いているうちに,当時の光景が鮮明に蘇ってきた。

おお,いるいる。確かにマスミだ,音楽室のエレクトーンを弾いている。 ナリジもいる,私が楽器店の知り合いからもらってきたボロボロのエレベを弾いている。 ハコもいる,ベンチャーズばりのモズライト風エレキを弾いている。 ジョーがいる,バイトの大金をはたいて買ったバケツのような音がするドラムを叩いている。 私もいる,お年玉の5,000円で買った1曲弾くとチューニングが狂う赤いセミアコを弾いている。 おおお,第1回ライブに来てくれた慶應義塾大学法学部教授のクボちゃんもいる。 クラシックギターで「And I love her」の間奏を弾いている。 そうだ,そうだ。演奏が終わって,
「音を出さないように」
とコツが人差し指を口に当てて
「しー」
の合図していると,決まって「じゃん!」と音を出していたおちゃらけ者がマスミだ。

 おじさんバンド結成後初めてのライブを一月後に控え, 「走る,遅れる,はずす」の三拍子がそろった迷プレーヤー・マスミがおじさんバンドに加わった。 消え去ろうとしていた記憶の糸が,マスミのカセットテープでかろうじて繋がった。 小さな思い出の復活がとても嬉しく感じる。おじさんバンドに出会って本当に良かった。

第5章 いざライブ!(コツ登場)
第6章 6.3 初ライブ
第7章 拡がり続ける仲間の輪

第1章 再会
第2章 悪戦苦闘の楽器店通い
第3章 過去と今の連鎖
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