第2章 悪戦苦闘の楽器店通い

青春再び

 年とは不思議なものである。私が親族以外で年を意識したのは,小学校に入学してからだと思う。 初めての朝礼で高学年がとても大きく感じた。さて,自分が高学年になるとどうだろう。 あの時感じた高学年と自分が同じとは思えないのだ。 私の娘は,私がジョーやナリジとバンドを組んでいた時の私の年齢をすでに超えている。 私が高校生だった頃の親父と,今の私を比べるとどうだろう。どうも自分が幼く思えてならない。 そう思うと娘の目に写る自分がやたらと気になりだした。 バンドを再結成してからの話だが,突然こんなことを考えて冷や汗をかいたことがある。

 バンドの課題曲の楽譜をFAXするためにナリジの自宅に電話した時のことだ。電話に出た奥さんに
「REN君,また青春を始めたんだって?」
と声をかけられた。奥さんらしいユニークでお洒落な問いかけに,電話口で赤面しながら返答に困ってしまった。 自分とはすでに無縁と思っていた「青春」という言葉と突然出会い,不覚にも立ち往生してしまったのである。 電話を切ってから幼い頃に感じていた疑問が頭をよぎった。 今の感傷的な気持ちと当時の記憶がオーバーラップしたようだ。 若き頃の正体がバレている知人からの思いがけない一言は, 瞬間的に気持ちの一部分の時計を逆戻りさせる不思議な力があるのかもしれない。

 さて,話を続ける。
「またバンドを始めよう!」
ナリジの思いがけない言葉に,ジョーは
「え,別にいいけど。何やるの?またビートルズでもやるの?」
と苦が笑いを浮かべながら持ち前の飾りっ気のない口調で言った。昔の仲間と再び音楽を楽しむことは歓迎するが,
「今さらビートルズなんかやりたくない」
というのが本音のようだ。高校時代にロックが好きだったジョーは,今ではすっかりソウルに傾倒していた。

 困ったのは私である。音楽業界で活躍していたナリジの折角の誘いである。 長らく音信の途絶えていた朋友たちと昔のように楽しい時を過ごしたいのはやまやまだが, バンドというからには当然ギターを弾かねばならない。何しろギターは25年間まったく触ってもいないのだ。 果たして指は動くのか,その前に音を出せるのか。 CDレコード一つを取ってみても,パチンコでゲットした景品を除くと,買ったものなど25年間で1枚もないかもしれない。 ビートルズの後にインプットされた音楽といえば,モーニング娘。の「うぉう うぉう うぉう うぉう」と, ジュディ・アンド・マリーの「それだけじゃ お腹がすくの」の2曲くらいのものだ。それすら曲名はわからない。
「果たしてこんな私が参加していいのだろうか……」

 戸惑うジョーと私を尻目にショーゾーは,まるで人ごとのように聞いていた。 彼は高校時代のバンドに参加していなかったのだ。私を除いた3人の会話には, 聞き慣れないミュージシャンの名前や曲名が次々と飛び交っていた。 ショーゾーの今の生活に音楽が潜在していることが想像できる。ナリジがショーゾーに振った。
「ショーゾー,人ごとみたいに聞いているけれど,君も参加するのよ。コードくらいできるだろ」
「えええ,オレも?」
ナリジは続けた。
「マッちゃん,山ちゃん,ツカ。昔のメンバーを探そう。 どこかの店を借り切って昔の仲間をたくさん集めて大騒ぎをしよう」
ナリジのテンションはトップギアーに入ってしまったようだ。

 かくしてバンドの再結成が決定した。高校時代のバンドは, 小金井公会堂でライブコンサートを行ったが名前を持っていなかった。この再会の席で
「名前は“おじさんバンド”にしよう」
と,25年振りで念願のバンド名がついたような気もしたが,気のせいかもしれない。 バンドには今 The Loose & Beat という立派な名前がある。 練習場所は国分寺市の公民館の無料スタジオを使うことになった。 課題曲と練習日はメールで打ち合わせることになった。いずれもナリジの提案である。 こうして25年ぶりの再会は,おじさんバンドの結成という思いがけない話に展開して幕を閉じた。

燃えないゴミに消えたグレコ

 大変なことになった。まずギターを入手しなければならない。
「楽器店に行かないとだめか」
私にとっては重大事件だ。音楽に関してはすっかり時間が止まっていたのだ。 今さら見栄を張っても仕方ないが,できることなら恥は最小限で食い止めたい。 私はおじさんバンドのメンバーにメールで聞いてみた。
「ギターを買うけど,エレキって今では何て言うの?やっぱりエレキでいいの?」
答えはイエスだった。「エレキ」は死語ではないようだ。一般的にはエレキもアコギも「ギター」と呼ぶらしい。 私は仕事帰りに新宿の楽器店に立ち寄ることにした。

 楽器店にはたくさんのギターが置いてあった。 高校時代はガラスケース越しでしか見ることができなかったマーチンやギブソンの高級アコギが 手の届く所に無造作にかけてある。よくは覚えていないが,値段は当時とさほど変わっていない気がする。 エレキはその奥にあった。高校時代,手の届く高級エレキと言えばギブソンのモデルを模したグレコ製がやっとだった。 お金が無かった当時の高校生にとってギブソンやフェンダーのギターは, 40半ばを過ぎた今に置き替えるとスーパーカー(死語?)に匹敵する高嶺の花だったと言えるかもしれない。

余談だが,当時のギターメーカーに,ギブソンを模したトムソンと,フェンダーを模したフェルナンデスがあった。 名前やボディだけではなく,ギターにプリントされたロゴのデザインまで本物そっくりだった。 紛い物では,仕上がり,値段,人気のすべてでグレコが抜きんでていた気がする。

 ジョーがドラムを担当することになる前のことだ。 バイトをしてサンバーストが眩しい4万2千円のグレコのレスポールを買った (内容を正確にするため投稿前にすべての登場人物に確認してもらっているが, ジョーから
「当時の4万円は今の20〜30万円ではないか」
とメールがあった。 さすがに断定できないので,今の金額に置き替えたときの体感温度ならぬ体感金額は20〜30万円と理解いただきたい)。 ジョーは大変な愛着ぶりで,ギターをケースにしまう時には, ボディについた指紋を一つ残らず布で丹念に拭き取る念の入れようだった。 おじさんバンドが活動するようになってからの話だが,ジョーにあのグレコの行方を聞いたことがある。 すると,今でも付き合いが続いている高校時代の同級生イッケイに貸したままになっているという。

2001年の第1回ライブの後に新メンバーに加わった元プロギタリストのチョロ山が,何かの拍子に言った。
「70年代のグレコのレスポールはメチャいいですよ。木も仕上げも今のギブソンよりいいかもしれない。 ぼくだったら今のギブソンより70年代のグレコを使います。 手に入れたくても物が無いし,あっても10万円以上はします。売っても高く売れますよ」
驚いた私はすぐにそのことをジョーに伝えた。
「えええ,もう何年も(ジョーから連絡があった。25年だそうだ)イッケイに貸したままになっているよ。 すぐに返してもらわなきゃ」
大変な慌て振りだ。早速イッケイに電話をしたようだが,時すでに遅しである。 イッケイは引っ越しの時に邪魔になったグレコを燃えないゴミに出してしまったらしいのだ。練習の後の飲み会で
「グレコのレスポールどうした?」
と聞くと,ジョーは顔を歪めながら,金の指輪をもそもそと見せた。 イッケイは,棄てたグレコの代償に自分で作った指輪をジョーに与えたのだ。 現在イッケイは指輪のデザインの仕事をしている。
「ジョー,あのグレコは?」
と聞くと,ジョーはその指輪を見せながら, 「これだよ。あのグレコのレスポールがこれだぜ。勘弁してくれよ」
と答える。皆で大笑いである。
「ジョー,あのグレコは?」
「この指輪だよ」
このやりとりは,その後の練習後の飲み会で格好の酒の肴となった。

それにしても,あのお金の無かった高校時代にギブソンやフェンダーへの夢と憧れを与えてくれた グレコ,トムソン,フェルナンデスは,この不況の中で果たして生き残っているのだろうか。 さすがにこの年になると欲しいとは思わないが, いつまでも懐かしい思い出の扉として店頭に並んでいて欲しいものである。

楽器店通いは鬼門

話を本題に戻す。さすがにこの年になると,買うとなれば本物でなければ納得できない。 エレキを物色する目は自然とギブソンとフェンダーを追いかけていた。
「どうぞ音を出して弾いてみて下さい」
店員に声をかけられた。恥ずかしくてとても音など出せようはずもない。 ギターは25年ぶりに触れるのだ。まずは自分の技量を正確に把握することが先決だ。 私は客と店員から見えない所を探して,こっそりとエレキに触れてみた。 エレキと言えばハイコード(フレットの高いポジションで押さえるコード)のカッティングと ハイポジションのアドリブである。アドリブなどできようはずもない。 取り敢えずは5フレットのAコードを押さえてみた。するとどうだろう,まったく音が出ないのだ。 何しろ25年ぶりだ。ある程度は予想していた。 気を取り直してローコード(初心者が最初に覚えるコードの押さえ方)を試すことにした。 Cコード,やはり音が出ない。まさか,Dコード。
「え,やっぱり出ないぞ」
焦りながらも冷静に原因を分析した。1弦を押さえた指が微妙に2弦に触れている。 この25年間で体だけではなく指までもが太ってしまったのか。 25年振りにギターを持った体は,当時より25キロも太っていた。 「25年振りのギター」に「25キロの体重増」。 1年に1キロの年輪を重ねた,と考えれば大したことないのかもしれないが,「25年」に「25キロ」。 いかに解釈を操作したところで不名誉からの脱却が不可能な語呂合わせである。

面倒なことにまた店員が来て言った。
「アンプがありますから,音を出してみて下さい」
「わかったって。もう来ないでいいよ。第一コードも弾けないで何を弾けというの?」
もちろん独り言である。その時だ。一人の若者がどこからともなく現れ, 壁にかけてあったフェンダーのストラトキャスターを手にすると,黙ってアンプに繋ぎ大きな音で弾き出したのだ。
「う,うまい」
「楽器屋でギターを弾くときは誰も知らない曲を弾くとかっこいいのか。しかも,おろおろせずに堂々と」
苦境の中で一つ学んだ。年の功である。 この若者の登場で,ますますギターに触れなくなってしまった私は,いそいそと店を出ることになる。 こんな新宿通いが2日も続いた。

 家に帰ってメーラーを開くとナリジからのメールが届いた。
「池袋の楽器店で低廉のエレベ(エレキベース)を買った。
RENには新宿より池袋の方が買いやすいかもしれない。 店員のAさんに,エレベを買ったおじさんバンドの仲間だって話して相談するといいよ」 持つべきものは友だちである。早速池袋の楽器店に行くことにした。あいにくAさんは不在だったが,代わりの店員に
「どうぞ弾いて下さい」
と,ここでも声をかけられた。ギターに触らずに購入するお客などいないらしい。 店員は躊躇する私を見ると,自分で弾いて音色とフレットの感触を確かめ丁寧に説明してくれた。 私にはエレキの知識がまったくない。店員の勧めるままにエピフォンの黒いセミアコを買うことにした。 セミアコにしたのは,家で練習するときアンプが無くても音が聞こえるのではないかと思ったからである。 エピフォンという聞き慣れないメーカーにひっかかりもしたが,アメリカの有名なブランドだと聞いて妥協した。 帰ってからネットで調べてみると,あのジョン・レノンがエピフォンのセミアコ(カジノ)を 愛用していたことを知って驚いた。 後におじさんバンドに参加し, チョロ山を連れてきてくれたマッちゃんから聞いた話だが, 私のギター選びは根本から間違っていたらしい。
「買うなら新品」
という概念がそもそも誤りだったようだ。エレキを買うときは,新品ではなく中古というのが定石のようだ。 近年いい木が少なくなって,ギブソンもフェンダーも昔のようないいギターが作れなくなったらしい。 今年(2002年)マッちゃんと行った大久保の楽器店に, ケースに入ったまま一度も使われていない30年くらい前のフェンダーのストラトキャスターが置いてあった。 あまりの貴重さに値段がつけられないという。何百万もの値段で取り引きされると聞いてとても驚いた。

 エピフォンの黒いセミアコは,吉祥寺で行った1年目(2001年)のライブで使用したが, 少し音量を上げるとすぐにハウリング(アンプとギターが共鳴して発する雑音)を起こす欠点があった。 スタジオの練習で
「RENのハウリング何とかならないの?」
あまりのうるささに毎回お叱りを受けて,今ではすっかり子供のおもちゃに変身してしまった。 この時のギター選びを通していくつか学んだ。

エレキは新品ではなく中古を買う。
ギター選びはしっかり音を出して音色や弾き具合などを吟味する。
決して店員の言いなりになってはならない。
当たり前か。

 その後も弦を買いにいけば見当違いのものを買ってしまい, 楽譜を買えば肝心な課題曲が1曲も入っていないものを買ってしまうなど,楽器店の買い物は鬼門のようだ。 この年になって子供のお遣いを体験するとは・・・・・・。
この章の冒頭に書いた年の話ではないが, 楽器店での私は,確実に高校時代の私より幼くなっていること間違いなしである。

第3章 過去と今の連鎖
第4章 小さな思い出の復活
第5章 いざライブ!(コツ登場)
第6章 6.3 初ライブ
第7章 拡がり続ける仲間の輪

第1章 再会
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